マレーシア原爆展・日本原水協代表団に加わって

マレーシア・クアラルンプールより報告します!(1)

 日本原水協は、09年1月11日から20日まで、ペルダナ世界平和協会を受け入れ団体としてマレーシアでの原爆展開催のための代表団を派遣しました。

派遣の目的

1) マレーシアのNGOと協力して、原爆展「核兵器のない世界へーヒロシマ・ナガサキはかたりかける」を成功させる。被団協、国内の被爆者代表を支援し、被爆の実相と「人類と核兵器は共存できない」とする被爆者のメッセージを普及する。

2) 原爆展、セミナー、市民社会や学生との交流を通  じ、2010年NPT再検討会議に向けて提起されている署名<核兵器のない世界を」の取組をひろめる。マレーシアの平和団体、NGOにも取り組みを提起し、ニューヨークへの結集をよびかける。

3) マレーシア政府やマハティール元首相など、新旧の政府関係者とも積極的に交流・意見交換をはかる。2010年のNY行動やそれに向けた2009年世界大会への協力を要請する。

代表団の構成

 ヒロシマ、ナガサキの被爆者をふくむ全国の原水協、平和団体の代表など25名。 コードピンク大阪は大阪原水協として参加しました。

原爆展会場

 マレーシア国際イスラム大学 

クアラルンプール郊外広大な敷地に広がるキャンパス。 学生は世界中から集まってきたイスラム教徒の子弟。 男女共学で女子学生は全員深くスカーフをかぶり、イスラムのドレスを着用。カラフルな原色、花柄のドレスで華やか。 入学試験はなく、高校の推薦で入学が決まるとか。

イスラエルのガザ攻撃に抗議し、即時停止を要求するポスターが校舎のあちこちに貼られているのが目につく。

クアラルンプールの街の様子

 イギリスの植民地として第一次、第二次世界大戦に参戦させられた歴史を感じさせる街並み。

 第二次大戦後、立憲君主制、非同盟の国づくりをすすめた経過が垣間見られる記念碑があちこちに。

 マレー系、中国系、インド系の市民など様々な人種の市民が行きかう市街地は活気に溢れている。

食べ物

夜になると通りを埋め尽くす屋台。 香辛料の強いマレー料理、インド料理、私たちには馴染みの中華などなんでも食べられる。 日本人には、辛さを控えるか聞いてくれた。