visiting YOKOTA US Air Force Base

横田米空軍基地を訪れて (ニディァ・リーフさんのお話の聞き書き) コードピンク大阪ジャパン
                                                   尾川 寿江  

 基礎経済学会の招聘でフクシマを訪れることになり、二度目の来日となりました。フクシマに向かう前に東京に逗留し、首都圏の米軍基地を視察することにしました。 東京都下福生市にある米空軍横田基地です。
 来日前にニューヨークの「おばあちゃんの平和旅団GPB」の仲間」と話し合い、在日米軍基地撤去への旅団の声明を作って持参しました。GPBにはノー・ベース(基地なくせ)委員会があり、私が責任者を務めています。
世界中にひろがる米軍基地の存在を知らないアメリカ市民にまず外国に置かれた米軍基地のことを知らせること、そして基地を置かれて苦しんでいる人達と連帯して撤去を求めて声をあげることが私たちの委員会の役割です。
 3月15日の昼下がり、横田基地に基地撤去を求めて長年粘り強く戦っておられる地域の代表、平和活動家の方々と共に向かいました。おそらくゲートで門前払いになるだろうと皆な覚悟していました。
案の定ゲードのガードにあたっていた兵士は居丈高にここからはパスを持っていない者は何人たりとも入れないと通してくれません。ゲートの横を見ると「ビシターズ・センター」と書かれて建物がありました。自由に出入りできそうでした。私はとっさに「あそこから入れるんだ。私は遠路アメリカからやってきたビジターなのだから遠慮はいらない」と判断して、センターに飛び込みました。
 同伴してくださった方々には外でしばらく待っていていただいて、私はビジター・センターの受付を担当していた若い軍曹に訪問の趣旨を伝えました。軍曹は、担当部署の者を誰か呼びましょうと対応してくれ、長い時間をかけていくつもの部署に電話で連絡をとってくれました。やがて担当官がやってきました。
「私は情報、広報官で兵士ではありません。市民からの要望に応える任務についています。お話を伺いましょう」と切り出しました。私服で、とても気さくな人柄に見えました。
彼は、私のパスポートをスキャンし、個人情報をすべて記録しました。私の個人情報はすべて米軍に提供したことになります。それでも、私は担当官と一アメリカ市民として、一人の人間として、一対一の話し合いがしたかったのです。私は彼の目をみつめて話しました。「子どもたちに戦争をさせたくないでしょう?」「米軍基地って周辺住民にさまざまな問題を引き起こしているのよ。」
『私にも生まれたばかりの赤ん坊がいます。子どものためにも戦争はなくしたい。貴方の声明は受け取りましょう。司令官に届くかどうかはわかりませんが、一つ上の部署には必ず渡します。さらに上に渡るかどうかは分かりません。』と返答し、彼はGPBの声明を受け取りました。
こうして私の基地視察は終わりました。首都東京郊外にこんなに広大な米軍基地があるなんて!ベトナム戦争中には基地から飛び立つ爆撃機の轟音で学生たちは大学の講義が聞こえなかったという。声明にも書いたように米軍基地はアメリカ市民にとっても、基地をおかれた国の市民にとっても何のメリットもありません。基地は撤去するしかないと決意を新たにした基地視察でした。