IPPNW Conference report

『 核戦争防止国際医師会議IPPNW) 2014年総会 』     ―カザフスタン共和国( Kazakhstan )首都アスタナ(Astana)で開催( 8/25~8/30)                              

通訳同行 記コードピンク大阪 / 尾川寿江 

カザフスタンってどんな国? 

カザフスタンは15C中央アジアの草原地帯に成立、19Cには ロシアの支配下におかれました。 ロシア革命でソヴィエト社会主義共和国連邦が誕生して、1936年にはソ連邦を構成するカザフ・ソビエト社会主義共和国となりました。

米ソ冷戦下にソ連の核実験場として共和国のセミ地区が選ばれました。いわゆるセミパラチンスク核実験場です。核実験は1949年から40年間続きました。核爆発は467回におよび、環境に放出された放射性物質は、チェルノブイリ原発事故の5000倍といわれています

ソ連邦の崩壊 に伴い1990年に共和国主権宣言を行い国名を「カザフスタン共和国」としました。 カザフ国民は世界ではじめて、国民的運動によって核実験場を閉鎖し、核兵器の廃絶、非核宣言をおこないました。(米国のネバダ核実験場の名をとった‘ネバダ・セミパラチンスク運動’が国民をリードしました。)

核実験場周辺の住民の被害は、どのようだったのでしょうか?                                 忘れられ、置き去りにされてきたのでは?

核実験被害には蓋をしたいというのが当時の政府(ソ連・ロシア)の本音であったかもしれませんが、今回IPPNW総会のカザフでの開催にあたり、被害者、被ばく者に寄り添い医療・調査を続けてきた国内外の人々が力を合わせ実態を明らかにしました。総会では、医者、研究者、被害者の発言が続き、被害者の描いたカザフの絵がホールに展示されていました。

総会後には、セミパラチンスクへのフィールド.ツアーも組まれていました。(残念ながら、私たちは不参加)

ヒロシマ ー ナガサキ ー ビキニ ー セミパラチンスク ー チェルノブイリ ー フクシマ 『核被害の連鎖の告発』 と『被ばく者に心を寄せること』 が カザフでのIPPNW総会開催の底流に流れていました。

反核医師の会のワークショップ大盛況総会に引き続いてたくさんのワークショップが開催されました。 日本から参加された反核医師の会は、「フクシマ原発事故による放射能汚染と健康被害」をテーマにワークショップを開催。世界各国からの医師らが真剣に発表に聞き入り、その後、「東電の責任をどう追求しているのか?」「日本政府の見解で被災者の健康を守れるのか?」等、活発な質疑応答が行われました。

アスタナ宣言 :アスタナは1997年に旧首都アルマティより遷都した新首都。ピカピカの宮殿のような会議場で開催された総会の最終日に『 アスタナ宣言 』が発表されました。

「・・・ この世界からの核兵器全面、即時廃絶のみが我々の未来を保障するもの・・・すべての人々に健康、安全、安心をもたらす核兵器のない、戦争のない世界の実現への決意を新たに我々はアスタナを後にする。」私も、大阪に戻ってこの決意を実行しようと張り切っています。