『コードピンク大阪』コードピンクDCハウスを訪問
『コードピンク大阪』コードピンクDCハウスを訪問
Codepink Osaka visits Codepink DC House !!!
コードピンクハウス に到着
Arrived at the DC House !! Our dream has come true. We came all the way from Osaka.
「コードピンクの姉妹たちと交流したい!」夢が実現して、ワシントンのコードピンクにやってきました。
Oct.2、‘07 U.S.Supreme Court US & Japanese CodepinkersSay no to Iraqi War !!
2007年10月2日 連邦最高裁判所 前 日米女性ピンクで連帯 イラク戦争 ノー!!
コードピンクの姉妹たちと
Codepink sisters in the House
溢れるピンクと平和への思い
full of pink colour
full of passion for peace and justice
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退役米軍大佐・元外交官・・・現在・平和の外交官
アン・ライト さん 来日講演・ツアー‘08 5月初旬
コードピンク大阪 よびかけ
アメリカのブッシュ政権が違法なイラクへの先制攻撃、侵略を開始した時、勇気を持って政府に抗議し、国務長官に辞表を送って外交官の職を辞したアン・ライトさん。「法を守り、国民に奉仕する外交官として当然の行為だった。今は、在野の平和の外交官として、イラク戦争をやめさせ、アメリカの間違った戦争に抗議する運動の先頭に立ちます」と意気軒昂です。
アン・ライトさんが、その後、活動の一つの拠点にしているのが、アメリカの平和を求める女性
たちのネットワークコード・ピンクです。
コード・ピンクが編集した本を邦訳出版し、この度(10月初頭)ワシントンにあるコードピンク ハウスを訪問した私は、滞在中アン・ライトさんとお会いし、交流を深め、行動をともにしました。
コードピンク大阪を名乗る許しを得て、草の根の日米連帯平和活動を大阪から拡げていくことを誓って帰阪したところです。
連帯活動のスタートを切るにあたって、アン・ライトさんに来日講演を要請したところ快諾をいただきました。日本滞在日程は、2008年5月第1、2週です。
コードピンク大阪は、日本各地で草の根の平和活動に献身しておられる多くの皆さんにアン・ライトさんの勇気とパワーを直接伝える企画を実現したいと考えています。皆さんのご支援、ご協力をいただいて、大阪をはじめ日本各地での講演、在日米軍基地周辺での運動との交流などを進めていきたいと願っています。アメリカ国内での厳しい闘いと活動の中、訪日ツアーに日程をとってくださるアン・ライトさんは、「日本の平和運動を担っている人たちと、イラク戦争、米軍、米軍基地問題等じっくり話し合いたい」と訪日への期待を述べておられています。
アン・ライトさんの来日ツアーが、日米双方の草の根の平和運動にとって実り多いものになるよう皆 さんの積極的なご参加をよびかけます。
コードピンク大阪 尾川 寿江
E-mail : glocaloh@gold.ocn.ne.jp URL: https://codepink.jp
〒542-0012 大阪市中央区谷町7丁目2-2 新谷町第一ビル201-2
アン・ライトさんは、こんな人
大学卒業後、合衆国陸軍に入隊。29年間軍務につき、大佐で退役。以後、国務省の外交官として16年間、ニカラガ、グレナダ、ソマリア、ウズベキスタン、キルギスタン、シラレオーネ、ミクロネシアなど世界各地の米国大使館で公務に就く。2001年12月には、アフガニスタン米国大使館の再建に尽力。その後、モンゴル・ウランバートルの米国大使館に赴任。モンゴル赴任中の2003年3月に、ブッシュ政権のイラク戦争の間違いを指摘し、間違った政府の代弁をする仕事はできないと辞任を決意し、国務長官に辞表を送りました。
以後、在野の「平和をめざす外交官」として、アメリカの平和運動の先頭に立ってきました。
FBI 本部前(ワシントン)
抗議行動「平和活動家をブラックリストに載せるな!」2007-10-3
アメリカ政府は、イラク戦争に反対して声をあげた人たちを次々拘束し、FBIはそのような平和活動家を犯罪者としてデータベース化したブラックリストを作っています。アン・ライトさんは、そのブラックリストに載っているとして国境でカナダへの入国を拒否されました。 コードピンク訪問中だった私は、アン・ライトさん、メディア・ベンジャミンさんらとともに、FBI前で抗議しました。
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アン・ライト:アメリカの英雄
「トュルースアウト」 編集長ヴィクトリア・ハーパー 2007年2月1日
アン・ライトはアメリカの英雄だ。イラク戦争に抗議して辞任した国務省上級官僚の一人として、彼女は2003年国務省を去って以来ひたすら平和活動に邁進している。
アン・ライトは16年間アメリカ陸軍で軍務につき、その後13年間予備軍にいた。アーカンソー大学で法律の修士学位を、ロード・アイランド州ニューポートにある米海軍大学で国家安全保障の修士学位を取得した。
1987年には国務省の外交官に就任し、シーラレオネ、ミクロネシア、アフガニスタン大使館に勤務し、グラナダ、ニカラグア、ウズベキスタン、キルギスタン大使館で任についた。2001年12月にアフガニスタン、カブール入りした最初のアメリカ国務省チームの一員であった。
国務省在籍中に彼女はシーラレオネからの2500名のアメリカ人の避難を指揮したことで英雄賞を受賞している。この避難は1975年サイゴンからの避難以来最大のものであった。
アン・ライトは、ブッシュ政権の政策とイラクへの先制攻撃の決定に抗議して2003年3月19日に国務省を辞任した。イラク開戦前日に国務長官コリン・パウエルあてに送った辞任状の中で彼女は、ブッシュ政権のイラク、イスラエル・パレスチナ紛争、北朝鮮政策に、また、アメリカ国民の市民的自由の制限に同意できないと述べ、これらの政策は世界をより危険な場所にしていると指摘している。
辞任以来、彼女は他の平和活動家とともにイラク戦争に反対し、キューバのグアンタナモ湾の収容所の囚人たちが無権利で拷問を受けていることに抗議している。彼女は、収容所の閉鎖と、所内で起きた違法行為の説明責任を追及している。
2005年8月にアン・ライトは、金星母の会のシンディー・シーハンを支援し、ブッシュ大統領の家があるテキサス州クロフォードの近くでのキャンプ・ケイシー・デモを組織した。その後、他の退役軍人や平和活動家とともに「今すぐ、兵士をアメリカに戻せ」バスツアーでホワイトハウスまで旅した。彼女は、イラク戦争反対の決意を示すために逮捕を厭わず行動し、軍籍にあってイラクでの軍務を拒否したはじめての軍人であるワタダ軍曹等への支援を行ってきた。
イラク戦争での軍務を積極的に拒否する兵士を支援して、アン・ライトは自らの平和と正義への決意を表明している。「反戦」の立場を明らかにした他の退役軍人等と肩を並べて立ち上がった彼女は言う。「もし、再び軍にもどれと命令されたら違法な侵略戦争には参加できませんと拒否し、軍法会議にかけられる道を選ぶでしょう。」
アン・ライトは、平和の追求と世界中で地に落ちたアメリカの評判の回復への努力に並々ならぬ勇気を示した。彼女はイラク戦争に抵抗して、休むことなく活動を続けている。彼女は、ブッシュ政権による憲法で保障された人権の蹂躙と戦い、他の活動家への支援をおしまない。 平和、正義、民主的原則の強化への彼女のエネルギーと決意を認められ、アン・ライトは第一回の年間「トュルースアウト自由と民主主義賞」を受賞した。