Codepink Osaka JAPAN actionreport2012・11-12
サンフランシスコで‘No Nuke アクション’に参加
昨年の11月9日から10日間サンフランシスコに逗留してきました。フクシマの状況をアメリカの市民、研究者等に訴えるグループに入れていただいてシンポジウム等で発言の機会もえました。その合間をぬって現地のNo Nukeアクションにも参加しました。
フクシマ原発事故直後にサンフランシスコに住む日系アメリカ人達が中心になって「Fukushima Response フクシマ・レスポンス」というグループを立ち上げました。日本政府に声を届けようと日本領事館前で毎週集いを開き、政府への申し入れも手渡しています。私たちが参加した時には「あ~許すまじ原発(原爆)を」と歌っている女性たちが次々に発言され、原発ゼロへの思いを共有しました。大阪から来た私たちも発言してと請われてマイクを握って関電前で続けている行動、とりわけ「大飯原発再稼働反対」の思いを訴えました。車イスを押してもらって参加されていた男性(90歳)は原爆投下後初の原水禁大会に参加するために広島を訪れた時の様子を話されました。背後に「Repose Ye in peace, for the Error shall never be repeated. やすらかにお眠りください、あやまちは繰り返しませんから ノー・モア・ヒロシマ ノー・モア・ウォー」と書かれた大きなポスターが置かれていました。アメリカ市民として生きてきた彼の思い、そして再びアメリカが関与した原発事故でのノー・モア・フクシマへの思いが込められたポスターでした。
コードピンク10周年 ブッシュの戦争もオバマの戦争も許せません
その間に創立10周年の行動を全米規模で展開していたCodepink Women for Peaceの女性たちとサンフランシスコで合流し行動を共にすることができました。金門橋でのピース・ウォ-―クにも参加しました。
オバマ大統領2期目にはいったアメリカで、アメリカの平和運動は健在でした。ブッシュ共和党政権下での戦争、民主党オバマ政権になっても続くアメリカの戦争に抗議し非暴力の直接行動を続けていました。
日本での選挙結果を受けて
私たちがまだサンフランシスコに逗留中に衆議院の解散のニュースが入ってきました。私たち有権者の中には脱原発の運動の盛り上がりで、「脱原発」で頑張ってくれる議員を一人でも多く議会に送るチャンスと
感じた人が多かったのではないでしょうか。フクシマ・レスポンスの人たちも「私たちは投票できなくて残念だけど、日本の有権者の皆さんにはがんばってほしい」とエールを送ってくださいました。
結果は自民党の圧勝ですが、二大政党制の苦渋を舐め続けているアメリカの平和運動家にとっては、現政権への怒り、落胆は対立する野党に向かい自分たちの推す候補者にはこないで体制が維持されることは自明の理。民主党への失望が自民党への回帰につながったことを冷静にうけとめているようです。
私たちが草の根でもっと、もっと大きな力をもたなければならないのですね。そのために何をすればいいのでしょうか。デモ、集会など直接行動、メール、ツイッターなどソーシャル・メディアで繋がる、等々